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大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)872号 判決 1971年11月05日

原告 北川辰造

被告 村野徳太郎

右訴訟代理人弁護士 武藤達雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一原告の申立

「被告は原告に対し金一一〇万円およびこれに対する昭和四三年三月七日より完済まで年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに仮執行宣言。

第二請求原因

一、原、被告間の前訴訟

(一)  被告は原告に対して六七一万円の損害賠償債権を有するという理由で、昭和三八年八月一二日、原告を相手どって大阪地方裁判所に右額および附帯の遅延損害金支払請求訴訟を提起した。

(二)  昭和四一年一〇月一五日、右事件につき請求棄却の判決が言渡されたところ、被告は大阪高等裁判所に控訴し、同四二年五月二五日控訴棄却の判決言渡があり、該判決は上告期間経過とともに確定した。右第一、二審判決の理由の要旨は、原告が損害の補償を約した事実は肯認しえない、原告が代替地を責任をもって引受ける旨を述べたのは尽力する趣旨の単なる政治的発言であって法的責任の負担約定とは認めえない、とするものである。

(三)  前記訴訟において被告がその請求の原因となしたところは、河内市(現東大阪市)大字市場に大阪府立花園高等学校を新設するに当り、校用地買収等につき地元の世話人をしていた原告が、被告に対し校用地確保のため大字市場所在の被告所有農地の提供をされたいと申入れ、被告が交換ならば応ずる旨返答したところ、原告は、大字市場内にある花園土地株式会社所有の農地を代替地として被告に取得せしめる、万一取得できないときにはこれによって生じた損害を補償することを約定した、被告はこれを信じて前記所有農地を大阪府に売却したところ、前記代替地は前記会社が手離さず、被告は代替地を取得しえない結果に立至った、よって原告と被告との前記約定に基き、代替地を取得しえなくなったことにより被告の蒙った損害六七一万円の賠償を求める、というのである。

二、前訴の違法性

原告は市議会議員の職にあった関係上、個人として地域の発展と育英、公共利益のため学校敷地の買収に関与したものにすぎず、被告が主張したような代替地確保ならびに損害補償の約定をしたことがないのにもかかわらず、被告はこれがあるかのごとく言掛りをつけて不当に訴訟を提起し追行したものであり、これは原告に対する不法行為を構成する。

三、損害

この不当訴訟により原告の蒙った損害は次のとおり。

(一)  弁護士費用

原告は応訴のため、大阪弁護士会所属の弁護士植村久太郎に訴訟事務処理を委任し、第一、二審の成功謝金として、昭和四二年一〇月二五日、合計一〇万円を支払った。

(二)  慰藉料

原告は昭和三〇年一月以降河内市議会議員、同四二年一月一日河内市を含む三市合併による東大阪市に移行後は昭和四二年二月二一日まで東大阪市議会議員の職にあり、また裁判所調停委員の公職にあり、加えて永年の官吏としての生活を送った経歴を有するものであり、被告の不当なる前記訴訟の提起追行により名誉を毀損せられ社会的人格権の侵害をうけ、前出約四年の久しきにわたる不法な請求、陳述に応接して実に心身を疲労すること甚しく頭髪更に白さを加えるに至り、精神上多大の損害を蒙った。これを金銭に評価すると一〇〇万円を相当とする。

四、まとめ

よって原告は被告に対し不当訴訟による損害賠償債権一一〇万円およびこれに対するこの損害発生後である昭和四三年三月七日より右完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める。

第三被告の主張

請求原因一の事実は認める。

請求原因二、三の事実は否認する。

第四証拠≪省略≫

理由

一、請求原因一の事実は当事者間に争いない。

二、そこで被告より原告を相手として損害賠償金六七一万円の給付を求めて第一、二審を通じ被告の全部敗訴に終った前訴訟が、不当訴訟を構成するものであるか否かを審究する。

本来何らの権利を有しないものが自己に権利なきことを知悉し、あるいは過失により知らずして、訴を提起、追行し、敗訴に至った場合には、該訴訟の提起、追行者は、相手方との関係においては、公権力たる司法を不正に利用したものというべく、不当訴訟として不法行為責任を免れえないものというべきである。しかし更に進んで敗訴者に結果責任を肯定し、勝訴者が該訴訟において蒙った有形無形の一切の損害を賠償すべきものとなすことは、各人が国家の設営する裁判所を利用し、自己の権利利益を客観化することの自由を保障されていることの反面として、首肯しえないものというべきである。

ところで本件の場合、前訴訟が被告の敗訴に確定していること先にみたとおりであるから、前訴訟において被告が権利ありと主観的に認識したところのものが前訴裁判所の判断と齟齬し、権利が存せずということになったものであり、前訴訟の提起、追行については被告に過失が存したものと事実上推定して然るべきである。

なお前訴訟において被告が損害賠償債権のないことを知ったうえ故意に提訴、追行をしたことを窺わしめる資料は本件に顕れたすべての証拠によるもみあたらない。

そこで、前記過失の推定を左右すべき事情の点を按ずるに、≪証拠省略≫によれば、

大阪府立花園高等学校が枚岡または河内の何れかの市内に新設されることになり、河内市においては、市長以下の理事職ならびに市議会はこぞって誘致に賛成し、府が新設場所として予定する河内市内の地元選出の市議会議員である原告が、市理事者、市議会の意を承けて土地買収の世話役となり、譲渡を渋る農地所有者に働きかけて府や市に協力して用地を提供するよう要請したこと、被告は学校予定地にかかる所有農地の売渡を承諾せず他の農地との交換ならば応ずる意向を示したところ、原告はこれを河内市に伝え、河内市側としても用地を早急に買収して誘致の実をあげるため、市長、市助役、市農業委員会等は用地提供者には希望により代替地を確保する、学校用地脇に花園土地株式会社が所有する土地のうち北寄り部分を市が同社に依頼して代替地用に充てる旨を確言し、原告においては、右のごとき市の意向を被告に通じるとともに、原告自らも被告に対し、「替地のことは自分が責任をもって引受けるから農地を提供してほしい、腹を切ってでも何とかするから」「花園土地株式会社の土地を見返りに渡すから協力してほしい」旨を述べたこと、一方河内市は、助役田口雄三や農業委員会を通じて花園土地株式会社に対し代替地に充てる土地を売渡すよう交渉して同社の承諾を得、なお市は、学校用地買収の件が取運び次第同社所有の造成地の中を通り抜けて新設高校に至る道路をつくると申入れて同社に利益約定をしているところ、その後市は価格等の問題もあってか今日まで右の成約の件を放置したままにしていること、他方被告は、河内市の意向を伝えられ、また原告自らも代替地取得を責任をもって引受ける旨確言したので、これを信用して、代替地が当然取得できるものと考えて所有農地を提供することを承諾し、河内市は、本来大阪府の出捐すべき手附金を市費を繰替えて用意するまでにしてことを急いで運び、昭和三七年二月一七日頃土地提供者との間に用地買収の調印をして手附金を交付したこと、その後河内市および原告は買収過程において約言したのに反して代替地を確保してこれを被告に提供することをしていないこと

以上の事実が認められる。この認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、原告自身および河内市は、被告所有農地を学校用地として提供させるべく、被告が右提供と不即不離の条件として提起した代替地確保の申入をともに了承のうえ代替地を市や原告が協力のうえ探索、確保してこれを被告に必ず渡す旨を確言しているものというべく、この確言が単なる努力目標といった底のものでないことは明らかであり、かつ被告提供地と同程度の代替地の確保が将来実現しうるか否かは全く不測であって、確保できないときには被告が自力で確保するか諦めるようにという趣旨を事前に告げて被告に右のごとき事態に至ってもやむをえないものと予め観念させたうえ学校用地の提供をさせたことを裏付ける資料もなく、結局、河内市が学校用地提供者に対してなした代替地確保の約定につき、原告は、自己固有の立場でも、これを保証し履行責任を負う旨をその立場上および言語上表現しているものというべく、原告の資格や前出約言における効果意思が法律上の責任に至らしめるには法的判断上若干の距離があるとしても、前顕表現がなされたこと動かし難いかぎりは、被告が右表現を基礎として前訴訟を提起追行したことはまことにやむをえない措置というべく、特に被告の供述によって認められるとおり、被告が当時六〇才台の半ばであって、近年都市化されてきたとはいえ未だ田舎ともいえる旧河内市でそれまでの生活を送り、農業に専念してきた者であるからには、地方行政の担当者に権威を認めて市長とか市議会議員の発言を疑念なく受け容れるのもそれなりの理由があり、政治的発言と法的責任負担との器用な使い分けに留意しその懸隔を予知することは不可能事を強いるものというべく、前訴訟については原告が自らその要因をつくりだしたものというべく、前訴訟の提起、追行につき被告の過失はないものといわざるをえない。

三、してみれば前訴訟は不当訴訟といいえないこと明かであるから、その余の点につき判断するまでもなく、本件請求は理由がないのでこれを棄却すべく、民訴法八九条を適用のうえ主文のとおり判決する。

(裁判官 今枝孟)

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